Designer's voice

大人買いした Arne - Coquette Online Shop

大人買いした Arne

冊子のArne(アルネ)を知ったのは、まだ結婚する前、主人と一緒に住み始めた頃。お互いの本が同じ本棚に並んだからだった。 この本好きなんだよねーと見せてくれて、パラパラとページをめくった時まだ会ったことがないお義母さんの台所が目に浮かんだ。 イラストレーターの大橋歩さんの抜け感のあるイラストと、ふわっと気取らない生活。一見はそうなのだが、実はそんなことは全くない。普段使いの食器、キッチン道具に生活道具、長年愛用している靴や洋服たちなど、大橋歩さんが長い時を掛けて選び抜いた「良いもの」が詰まった一冊で丁寧な生活、そんな言葉はまだ無かったのだけど、まさにそんな感じ。 当時の私にはハードルが高いセレクトの数々に、なんて素敵な生活なんだろうって。そして、この冊子が好きと言える旦那さんって(当時はまだ彼)のことをなんて大人なんだ!と正直驚いた。風貌からも意外(笑)おそらく、幼少期にそういう日常を送っていたからだろう。 先日、古本屋で偶然見つけ大人買いした。 あの時より今の自分にしっくりくる。休日にパラパラとめくっては「良いもの」って、変わらないものなんだなと、改めて。 Arneは私の永久保存版です。 *アルネは大橋歩さんが企画、編集、写真取材をした冊子。2009年12月15日発行の30号で終了しています。

大人買いした Arne

冊子のArne(アルネ)を知ったのは、まだ結婚する前、主人と一緒に住み始めた頃。お互いの本が同じ本棚に並んだからだった。 この本好きなんだよねーと見せてくれて、パラパラとページをめくった時まだ会ったことがないお義母さんの台所が目に浮かんだ。 イラストレーターの大橋歩さんの抜け感のあるイラストと、ふわっと気取らない生活。一見はそうなのだが、実はそんなことは全くない。普段使いの食器、キッチン道具に生活道具、長年愛用している靴や洋服たちなど、大橋歩さんが長い時を掛けて選び抜いた「良いもの」が詰まった一冊で丁寧な生活、そんな言葉はまだ無かったのだけど、まさにそんな感じ。 当時の私にはハードルが高いセレクトの数々に、なんて素敵な生活なんだろうって。そして、この冊子が好きと言える旦那さんって(当時はまだ彼)のことをなんて大人なんだ!と正直驚いた。風貌からも意外(笑)おそらく、幼少期にそういう日常を送っていたからだろう。 先日、古本屋で偶然見つけ大人買いした。 あの時より今の自分にしっくりくる。休日にパラパラとめくっては「良いもの」って、変わらないものなんだなと、改めて。 Arneは私の永久保存版です。 *アルネは大橋歩さんが企画、編集、写真取材をした冊子。2009年12月15日発行の30号で終了しています。

コケットが大切にしている美しく「装う」こと - Coquette Online Shop

コケットが大切にしている美しく「装う」こと

コケットはCoquette株式会社のバッグブランドです。このブログを見ていただいている方も様々だと思うので、唐突ですが改めて。この6月でまる18年になろうとしています(自分でもびっくり) 当初から、ブランドとして、会社として、そしてデザイナーである私がいつも心掛けていることがあります。 コケットのバッグは美しく「装う」ことの一助になりたいとデザインしています。そして、作るバッグは数ある装いの中のほんの一つに過ぎない、という意識を忘れないことです。 あくまでも主人公は持つ方、使う方であり、バッグはそっと主人公を支える存在。メイクや、洋服、靴、アクセサリー、靴、香水など「装い」の要素はいくつもあって、バッグはその一つ。「コケットのバッグは芸術品では無い」という方がわかりやすいですかね。 商品を作っていると、日々の仕事や出来事に追われて、目の前のやるべきことに視点が向きがち。閃いた!と思いついただけでデザインをしていると、商品ができた先の想像ができにくいことがあります。こんな技術ができた、すごい技術が使えたから商品も素晴らしい、、、。それも勿論そうです。 ですが、技術だけではなく商品を使う方が気持ちよく、持った時の立ち姿が美しくちゃんと使いやすい物になっているか。また、華美過ぎてバッグだけがひとり歩きしているような自己満足なデザインになていないだろうか。そう、技術とデザインが半々くらいのバランスがちょうど良い、と思っています。 そして今、自分の心境の中では、提供できる装いの形が少し変化しているように感じています。バッグで「装う物」を作っていたわけですが、商品というカテゴリーではない、女性が知りたい情報、知識や生活に潤いや精神的な満足、美味しい、楽しいと言った、もう少し幅広く人を彩る「装い」が気になり出してましてね。 もともと、そういったことを含めて発信するのがコケット株式会社であり、その一つにバッグブランド、コケットがある、と思っていたのですが、バッグ以外でも有意義なことや場所を提供できる会社でありたい、その思いが強くなってきました。 抽象的ですね。とっても。コロナの影響もあると思います。根本的にバッグブランドである軸は変わらないです。作るデザインもこれからもずっとブレないと思います。 みんなが美しく日々を楽しく生活できる、何か。女性のためのバッグを作っていたコケットが、作り出すこと考えることだよね、と思ってもらえる何かになるはず。 いつか、そんな空間を作りたいな、そう思っています。 なんだか、自分言い聞かせているみたいな今日のブログ(笑)              

コケットが大切にしている美しく「装う」こと

コケットはCoquette株式会社のバッグブランドです。このブログを見ていただいている方も様々だと思うので、唐突ですが改めて。この6月でまる18年になろうとしています(自分でもびっくり) 当初から、ブランドとして、会社として、そしてデザイナーである私がいつも心掛けていることがあります。 コケットのバッグは美しく「装う」ことの一助になりたいとデザインしています。そして、作るバッグは数ある装いの中のほんの一つに過ぎない、という意識を忘れないことです。 あくまでも主人公は持つ方、使う方であり、バッグはそっと主人公を支える存在。メイクや、洋服、靴、アクセサリー、靴、香水など「装い」の要素はいくつもあって、バッグはその一つ。「コケットのバッグは芸術品では無い」という方がわかりやすいですかね。 商品を作っていると、日々の仕事や出来事に追われて、目の前のやるべきことに視点が向きがち。閃いた!と思いついただけでデザインをしていると、商品ができた先の想像ができにくいことがあります。こんな技術ができた、すごい技術が使えたから商品も素晴らしい、、、。それも勿論そうです。 ですが、技術だけではなく商品を使う方が気持ちよく、持った時の立ち姿が美しくちゃんと使いやすい物になっているか。また、華美過ぎてバッグだけがひとり歩きしているような自己満足なデザインになていないだろうか。そう、技術とデザインが半々くらいのバランスがちょうど良い、と思っています。 そして今、自分の心境の中では、提供できる装いの形が少し変化しているように感じています。バッグで「装う物」を作っていたわけですが、商品というカテゴリーではない、女性が知りたい情報、知識や生活に潤いや精神的な満足、美味しい、楽しいと言った、もう少し幅広く人を彩る「装い」が気になり出してましてね。 もともと、そういったことを含めて発信するのがコケット株式会社であり、その一つにバッグブランド、コケットがある、と思っていたのですが、バッグ以外でも有意義なことや場所を提供できる会社でありたい、その思いが強くなってきました。 抽象的ですね。とっても。コロナの影響もあると思います。根本的にバッグブランドである軸は変わらないです。作るデザインもこれからもずっとブレないと思います。 みんなが美しく日々を楽しく生活できる、何か。女性のためのバッグを作っていたコケットが、作り出すこと考えることだよね、と思ってもらえる何かになるはず。 いつか、そんな空間を作りたいな、そう思っています。 なんだか、自分言い聞かせているみたいな今日のブログ(笑)              

商品が定番になる難しさと、ペリカンのパンが好きな理由 - Coquette Online Shop

商品が定番になる難しさと、ペリカンのパンが好きな理由

どこに行く為の飛行機だったか覚えがない。機内に着席してすぐ機内紙に目を通していたら浅草の老舗のパン屋さん『ペリカン』の特集があった。 1942年から続く老舗ベーカリー『ペリカン』の4代目のお話。アトリエがある台東区では「ペリカンのパン使っています」という看板がある喫茶店と「開花楼」と書かれた麺の木箱が店先に置いてあるラーメン屋さんをよく見かける。そしてそれは、味に間違いなし。という安心にもなっている。 ペリカンのパンは食パンとロールパンのみ。食パンはやや小ぶりで、もっちりとした食感とほんのりと甘い味。夕食に食べても他の料理を妨げることがない。だけど美味しい。さて、その特集というのは4代目の社長が、ペリカン歴代初の製菓学校に通ったことや、作っている種類の少なさなど、細かい取材のもとに丁寧に書かれていた。そして、機内で泣いた。 その頃ちょうど、父のお店のことも気にかけていた時で(詳しくはこちら)私の好きなもの お肉編 長年、同じものを提供することの難しさを日々考えていたタイミングだった。 バッグブランドを始めて以来ずっと、半年に一度のペースでコレクションを発表しているとそんなに毎回新作を作る必要はあるだろうか、って自分についても考えていた。目新しさだけではなく、もっと長く愛されるような、定番と呼ばれる商品を作るにはどうしたら良いかなと思っていた時。 定番って、自分から定番になるようにと思いを込めて意気込むこともありますが、実際には自分で決めることじゃない。使ってくれる方が、これは使いやすいと評価をしていただいたりデザインが普遍で違和感なく時代に合っていたりと、様々な要素が重なって定番になるものだ。ブランドのアイコンとなるバッグ、コケットでいうとCubicが良い例なのですが実はマイナーチェンジを4回ほどしています。持ち手の握った感じや、携帯のサイズが変わってきたので内ポケットの大きさを変えたり、より使いやすくなるよういくつか仕様を変えている。色展開もそう。たまに新しい色を加えたりもしている。 ペリカンのパンは、ずっと変わっていないように見えるが、本当は時代に合わせてレシピを何度も変えていた。父のステーキ店のソースも、ソースのレシピを何度も変えているらしい。50年前と今ではお肉の流通が良くなったことや、脂身が少ない肉質が好まれるようになり、素材のお肉が変わったからだと言っていた。 変わらないように見えるものって、実は変えていかないと、味が変わったと思われることが多々ある。 生活が変われば味覚も変わるわけだし、その時は手に入れやすかったのに価格が高騰して手に入れられないことだってある。生産者が廃業してしまう場合があれば、代品に合わせて配合を変えることだってあるだろう。 何より美味しさの基準が時代で変わる。 変化しないために、変化し続けなければない。変化を恐れていると、同じものを作り続けることができない。そして、変化することを苦しんでいてはいけない、笑顔になることを作っているんだから。 そう、ぼんやり感じていたことが、その記事によって後押しをしてもらったように思えたんだと思う、多分。 ペリカンがある生活、日常や特別な日、身近に好きなものがある生活。コケットのバッグは、そういう存在になりたいと思っている。 ペリカンのパンを食べると、今でもあの時記事を読んだことを思い出す。そして、少し背筋が伸びるんです。                     

商品が定番になる難しさと、ペリカンのパンが好きな理由

どこに行く為の飛行機だったか覚えがない。機内に着席してすぐ機内紙に目を通していたら浅草の老舗のパン屋さん『ペリカン』の特集があった。 1942年から続く老舗ベーカリー『ペリカン』の4代目のお話。アトリエがある台東区では「ペリカンのパン使っています」という看板がある喫茶店と「開花楼」と書かれた麺の木箱が店先に置いてあるラーメン屋さんをよく見かける。そしてそれは、味に間違いなし。という安心にもなっている。 ペリカンのパンは食パンとロールパンのみ。食パンはやや小ぶりで、もっちりとした食感とほんのりと甘い味。夕食に食べても他の料理を妨げることがない。だけど美味しい。さて、その特集というのは4代目の社長が、ペリカン歴代初の製菓学校に通ったことや、作っている種類の少なさなど、細かい取材のもとに丁寧に書かれていた。そして、機内で泣いた。 その頃ちょうど、父のお店のことも気にかけていた時で(詳しくはこちら)私の好きなもの お肉編 長年、同じものを提供することの難しさを日々考えていたタイミングだった。 バッグブランドを始めて以来ずっと、半年に一度のペースでコレクションを発表しているとそんなに毎回新作を作る必要はあるだろうか、って自分についても考えていた。目新しさだけではなく、もっと長く愛されるような、定番と呼ばれる商品を作るにはどうしたら良いかなと思っていた時。 定番って、自分から定番になるようにと思いを込めて意気込むこともありますが、実際には自分で決めることじゃない。使ってくれる方が、これは使いやすいと評価をしていただいたりデザインが普遍で違和感なく時代に合っていたりと、様々な要素が重なって定番になるものだ。ブランドのアイコンとなるバッグ、コケットでいうとCubicが良い例なのですが実はマイナーチェンジを4回ほどしています。持ち手の握った感じや、携帯のサイズが変わってきたので内ポケットの大きさを変えたり、より使いやすくなるよういくつか仕様を変えている。色展開もそう。たまに新しい色を加えたりもしている。 ペリカンのパンは、ずっと変わっていないように見えるが、本当は時代に合わせてレシピを何度も変えていた。父のステーキ店のソースも、ソースのレシピを何度も変えているらしい。50年前と今ではお肉の流通が良くなったことや、脂身が少ない肉質が好まれるようになり、素材のお肉が変わったからだと言っていた。 変わらないように見えるものって、実は変えていかないと、味が変わったと思われることが多々ある。 生活が変われば味覚も変わるわけだし、その時は手に入れやすかったのに価格が高騰して手に入れられないことだってある。生産者が廃業してしまう場合があれば、代品に合わせて配合を変えることだってあるだろう。 何より美味しさの基準が時代で変わる。 変化しないために、変化し続けなければない。変化を恐れていると、同じものを作り続けることができない。そして、変化することを苦しんでいてはいけない、笑顔になることを作っているんだから。 そう、ぼんやり感じていたことが、その記事によって後押しをしてもらったように思えたんだと思う、多分。 ペリカンがある生活、日常や特別な日、身近に好きなものがある生活。コケットのバッグは、そういう存在になりたいと思っている。 ペリカンのパンを食べると、今でもあの時記事を読んだことを思い出す。そして、少し背筋が伸びるんです。                     

最近、日本製について思うこと - Coquette Online Shop

最近、日本製について思うこと

テーマがまちまちな更新ですがデザイナーの思いつくままのブログ、どうぞお付き合いくださいませ。 今回は日本製について。 日本でモノを作ることが困難になってきています、というお話。もう、これはかなり深刻な内容なので、ちょっと長くなると思います。飲みながら話したい(笑) コケットの商品は日本で作っています。 デザイン、素材やさん、縫製の会社(メーカー)や職人さん。コケットのバッグができる工程は、大きく3つの分野に分かれます。アトリエでデザインをして、革や資材を揃え、それを形にする縫製のメーカーさんや職人さん。それぞれが更に細分化されて、1本のバッグを作る為にざっくり7,8社、多いと10社以上が関わります。意外と多いんですよ。 さて、日本製って何をもって日本なのか。そして日本であるべきことは何なのか。最近とっても考える重いテーマです。 物作りの現場は高齢化が進んでいます。バッグの世界も同様です。昔からの腕の良い職人さんには後継者がなく、このコロナで追い討ちをかけてしまいました。思い切って廃業の決断をされる方が増えました。悲しいことですが現実です。では、他の国はどうなのか。随分前に、中国などアジア諸国に工場や職人さんが流出してしまった時期があったそうです。その結果、バッグに限ったことではありませんが、最近ではベトナム、マレーシア、インドネシアなどで作られることが増えました。皆さんもタグを見たことがあるかもしれませんね。そういった国々は高齢化問題の話は聞こえてきません。働き手がたくさんいて、皆誇りを持って職人として働いているからだと思います。 海外生産は、早く大量に作ることができ、コストを抑えることができました。ですが今は人件費も上がり、安さを最重要としていた企業さんは、更に安さを求めて新しいエリアを発掘しています。そうこうするうちにハイブランドのバッグも、本物かと見間違うほど完璧に真似出来る技術を習得している国があるのも現実です。 日本のお家芸だった手仕事の細かい革小物の技術は、今では作る人が少なくなり、技術が継承されていないため作れないバッグも多々ある、という具合です。 デザイナー仲間でも日本で生産はせず、本人が日本人であるという事を謳って海外で作っている人もいます。Designed by JAPAN.これに関して特に異論はありません。 日本以外で作ることも選択肢の一つ。 日本製だから物が良い、という日本製神話はもう過去の栄光だとわかっています。 勿論リスペクトしていますよ。先人たちが作り上げた土壌で私たちも作れているわけですから。どこで作るかが問題ではなく、コスト面や、より良いものを作ることができるところを探した結果、海外だった。という理由もあるはず。この考えは更に加速していくと思います。 ではコケットはどうなのか、これからどうするべきか。 コケットは可能な限り日本で作りたいと思っています。美しいとお互いが思える物作りの姿勢やこだわりを、膝を突き合わせ、長年日本で暮らした者同士が、日本語で話すからこそ共有できることがあると思っているからです。それは、ブランドを始めた当初、革の工場さんで試作ができた瞬間の感動があったことが大きいと思います。梅雨時に雨に濡れた葉っぱのあの感じ、とか、夏の季節の空の色、とか。何気ない例えが、はいこれですと画像を見せるだけではない感覚の伝え方があるのではないかなと。革の工場さんのお話ですが、縫製に関しても同じ感覚で商品の表現があると思っています。 コケットは自社内に職人がいないので(これはあえてそうしています)いわゆる外注でメーカーさんや職人さんに作ってもらっています。 ここ10年程、廃業する縫製のメーカーさんを目の当たりにして、強く意識し始めたことがあります。小さいながらもブランドを継続することは、自分だけではなく関わってくれる方々に、少しでもお仕事を作ることになるのではないか、デザイナーとして日本で作る意味ってそういうことでもあるんじゃないか。そう思うようになりました。 ただ、葛藤があります。日本で作ると高い。日本で作ると高いのは人件費です。では、それなりの綺麗さが保たれているか。問題はそこです。(革の工場さんと縫製の工場さん、2つの日本製の話が混在していますが、ここでは後者の方) 悲しいけれど必ずしもそうとはいえない時があります。高い ≠ 綺麗 全部ではありません。18年間、綺麗に仕上がる工場さんを求めていくつも渡り歩いてきましたので。ここでいう問題は、出来栄えの良さや美しさの基準が、共有できているか、です。仕上がりの美しさ。このステッチの綺麗さは譲れないとか、この部分のシワは気になる、とか。コケットの商品として自信を持って、お客さまのところに行ってこい!と送り出せるかどうか。コケットの検品は厳しいと思います。メーカーさんと出来上がりの合格点や注意点を目合わせしていく作業のしんどさ。これはないかなーってダメ出しをするのって本当は嫌ですもん。気が重い。せっかく作ってダメだって言われる方も嫌ですよね。ですが、コケット基準を知ってもらって、ブランドとして美しさの基準を理解し合える人とでないと良い商品を作れないです。だって、お金を使ってバッグ買ってもらっているんですから。 この程度の○○、うちだとオッケーにしてもらってます、とか言われます。たまーに。次回の生産時に気をつけるようにしますね、とかならまだ良い。次回からは引き受けられません。と逆に生産を断られることもあります。重箱の隅をつつくようなことは、決してしていないのですがね、、、。 一度美しさの基準を妥協すると、それ以降の基準は甘くなるものです。これならまぁいいか、とか、作ってくれなくなるならしょうがないこの程度は、など、妥協点の話しをしたいのではないのですよ、本当は。ここをもっとこうすると綺麗に仕上がる、とか、そのために芯材を変えたほうが良いですよという提案とか、この形がうまくできる職人を毎回同じと決めて生産しますよ、とか、そういうお話をしたいのです。 コスト面では日々闘いです。もちろん価格据え置きの企業努力も必要です。だけど価格(コスト)では片付けられない、日本で作る意味、って美しさの基準が同じ視点だったり、それを追求する姿勢だったりだと思うのです。なんでしょうね、それがだんだん難しくなってきている。コケットは、先にも書きましたが、できる限り日本で作りたいと思っています。そういった場所が提供できるなら作りたい。ですがその前に、綺麗なもの、美しいものを「それは外せないよね!」と、同じように思える人とこれからもバッグを作って行きたい。   日本製って、難しくなっています、という少し複雑なお話でした。飲んでないですよ(笑)      

最近、日本製について思うこと

テーマがまちまちな更新ですがデザイナーの思いつくままのブログ、どうぞお付き合いくださいませ。 今回は日本製について。 日本でモノを作ることが困難になってきています、というお話。もう、これはかなり深刻な内容なので、ちょっと長くなると思います。飲みながら話したい(笑) コケットの商品は日本で作っています。 デザイン、素材やさん、縫製の会社(メーカー)や職人さん。コケットのバッグができる工程は、大きく3つの分野に分かれます。アトリエでデザインをして、革や資材を揃え、それを形にする縫製のメーカーさんや職人さん。それぞれが更に細分化されて、1本のバッグを作る為にざっくり7,8社、多いと10社以上が関わります。意外と多いんですよ。 さて、日本製って何をもって日本なのか。そして日本であるべきことは何なのか。最近とっても考える重いテーマです。 物作りの現場は高齢化が進んでいます。バッグの世界も同様です。昔からの腕の良い職人さんには後継者がなく、このコロナで追い討ちをかけてしまいました。思い切って廃業の決断をされる方が増えました。悲しいことですが現実です。では、他の国はどうなのか。随分前に、中国などアジア諸国に工場や職人さんが流出してしまった時期があったそうです。その結果、バッグに限ったことではありませんが、最近ではベトナム、マレーシア、インドネシアなどで作られることが増えました。皆さんもタグを見たことがあるかもしれませんね。そういった国々は高齢化問題の話は聞こえてきません。働き手がたくさんいて、皆誇りを持って職人として働いているからだと思います。 海外生産は、早く大量に作ることができ、コストを抑えることができました。ですが今は人件費も上がり、安さを最重要としていた企業さんは、更に安さを求めて新しいエリアを発掘しています。そうこうするうちにハイブランドのバッグも、本物かと見間違うほど完璧に真似出来る技術を習得している国があるのも現実です。 日本のお家芸だった手仕事の細かい革小物の技術は、今では作る人が少なくなり、技術が継承されていないため作れないバッグも多々ある、という具合です。 デザイナー仲間でも日本で生産はせず、本人が日本人であるという事を謳って海外で作っている人もいます。Designed by JAPAN.これに関して特に異論はありません。 日本以外で作ることも選択肢の一つ。 日本製だから物が良い、という日本製神話はもう過去の栄光だとわかっています。 勿論リスペクトしていますよ。先人たちが作り上げた土壌で私たちも作れているわけですから。どこで作るかが問題ではなく、コスト面や、より良いものを作ることができるところを探した結果、海外だった。という理由もあるはず。この考えは更に加速していくと思います。 ではコケットはどうなのか、これからどうするべきか。 コケットは可能な限り日本で作りたいと思っています。美しいとお互いが思える物作りの姿勢やこだわりを、膝を突き合わせ、長年日本で暮らした者同士が、日本語で話すからこそ共有できることがあると思っているからです。それは、ブランドを始めた当初、革の工場さんで試作ができた瞬間の感動があったことが大きいと思います。梅雨時に雨に濡れた葉っぱのあの感じ、とか、夏の季節の空の色、とか。何気ない例えが、はいこれですと画像を見せるだけではない感覚の伝え方があるのではないかなと。革の工場さんのお話ですが、縫製に関しても同じ感覚で商品の表現があると思っています。 コケットは自社内に職人がいないので(これはあえてそうしています)いわゆる外注でメーカーさんや職人さんに作ってもらっています。 ここ10年程、廃業する縫製のメーカーさんを目の当たりにして、強く意識し始めたことがあります。小さいながらもブランドを継続することは、自分だけではなく関わってくれる方々に、少しでもお仕事を作ることになるのではないか、デザイナーとして日本で作る意味ってそういうことでもあるんじゃないか。そう思うようになりました。 ただ、葛藤があります。日本で作ると高い。日本で作ると高いのは人件費です。では、それなりの綺麗さが保たれているか。問題はそこです。(革の工場さんと縫製の工場さん、2つの日本製の話が混在していますが、ここでは後者の方) 悲しいけれど必ずしもそうとはいえない時があります。高い ≠ 綺麗 全部ではありません。18年間、綺麗に仕上がる工場さんを求めていくつも渡り歩いてきましたので。ここでいう問題は、出来栄えの良さや美しさの基準が、共有できているか、です。仕上がりの美しさ。このステッチの綺麗さは譲れないとか、この部分のシワは気になる、とか。コケットの商品として自信を持って、お客さまのところに行ってこい!と送り出せるかどうか。コケットの検品は厳しいと思います。メーカーさんと出来上がりの合格点や注意点を目合わせしていく作業のしんどさ。これはないかなーってダメ出しをするのって本当は嫌ですもん。気が重い。せっかく作ってダメだって言われる方も嫌ですよね。ですが、コケット基準を知ってもらって、ブランドとして美しさの基準を理解し合える人とでないと良い商品を作れないです。だって、お金を使ってバッグ買ってもらっているんですから。 この程度の○○、うちだとオッケーにしてもらってます、とか言われます。たまーに。次回の生産時に気をつけるようにしますね、とかならまだ良い。次回からは引き受けられません。と逆に生産を断られることもあります。重箱の隅をつつくようなことは、決してしていないのですがね、、、。 一度美しさの基準を妥協すると、それ以降の基準は甘くなるものです。これならまぁいいか、とか、作ってくれなくなるならしょうがないこの程度は、など、妥協点の話しをしたいのではないのですよ、本当は。ここをもっとこうすると綺麗に仕上がる、とか、そのために芯材を変えたほうが良いですよという提案とか、この形がうまくできる職人を毎回同じと決めて生産しますよ、とか、そういうお話をしたいのです。 コスト面では日々闘いです。もちろん価格据え置きの企業努力も必要です。だけど価格(コスト)では片付けられない、日本で作る意味、って美しさの基準が同じ視点だったり、それを追求する姿勢だったりだと思うのです。なんでしょうね、それがだんだん難しくなってきている。コケットは、先にも書きましたが、できる限り日本で作りたいと思っています。そういった場所が提供できるなら作りたい。ですがその前に、綺麗なもの、美しいものを「それは外せないよね!」と、同じように思える人とこれからもバッグを作って行きたい。   日本製って、難しくなっています、という少し複雑なお話でした。飲んでないですよ(笑)      

ブランドを始めたきっかけ vol.5 「私、バッグデザイナーになります!」編 - Coquette Online Shop

ブランドを始めたきっかけ vol.5 「私、バッグデザイナーになります!」編

vol.4では、初めて出展した合同展示会での散々な結果に打ちのめされたお話でした。 ブランドを始めたきっかけ 「私、バッグデザイナーになります!」編 ご来店されたお客さまに、ブログ見ていますとお声をかけていただくことが増えました。ありがとうございます。バッグデザイナーになる前の話が長過ぎて、まだデザイナーになっていない(笑) 今回は、ようやくバッグデザイナーになると決心したお話です。 深い湧き水を覗き込んだ時、いくつもの色が重なり、奥行きが綺麗に見えることがあると思います。経験や年齢を重ねることは、まさにそのようなことなのだろうと、今になって思います。私にとっては、会社員時代の経験は自分に奥行きという自信を作ってくれた、かけがいのない年月でした。 ちょうど30歳か31歳くらいだったかと。バッグの世界に飛び込んでみたい、という気持ちが日々募っていきます。それは、悔しさからくる気持ちです。展示会で打ちのめされたあの気持ち。いつか本気でチャレンジしてみたい。そう思うようになっていました。 社内では、いくつかのブランドやプロジェクトを経験させてもらっていました。落ちないつかない口紅、という口紅が空前の大ヒットした翌年です。私は会社を辞める決意をしました。関わったブランドや商品がヒットするととても嬉しい。燃え尽きた、というよりももう、いいかな。そう思うようになりました。 ある日、とうとう私は上長に伝えます。 「課長、お話があるんです」「お!きょうこちゃん、私もあるんだよ」(会社ではそう言われていました)ドキドキしながら、別室へ行きまして お先にどうぞ、と言われます。 「私、バッグデザイナーになるので、会社を辞めます」「え・・??? え、そうなの??」 上長、バッグを作っていることは知っていましたが、本業にすることはどういうことなのか、少しバッグについて話をしたと思います。すると上長 「やりたいことが見つかるって、こんなに素晴らしいことはないよ!わかった、僕の話はもういいから、僕もこの後色々調整で動かなくちゃならないから、わかったよ、ひとまずそれじゃ!」と、足早に立ち去っていきました。あれ、こんなにあっさりしているのか?上長からのお話というのは、薄々知っていました。もし、そのお話をこの一年前に聞いていたら、私は会社を辞めていなかったかもしれません。そして、今もまだ会社員だったかも。運命ってわからないものですね。 そして、意外にもあっさりと退社することを承諾してもらい残りの日々を淡々とこなし、この後に待ち受けている楽しいであろう日々を想像しながら過ごします。(この時はまだ、とんでもない世界に飛び込んだことを知る由もない)上長と同じく、印象的だった同僚の言葉は、今でも心に突き刺さっています。「やりたいことが見つかって、良かったね」みんな会社の中で葛藤しながら、それでも仕事をしているのです。やりたいことだらけではない。好きなことだけでもない。そんな中でも、やりがいを見出して日々頑張っている。   自分の手で、本当に作りたいものを作ってみたい。それしか考えていなかったです、その時。組織が大きいとボリュームゾーンを意識しなければなりません。それが自分の意思や嗜好とは違う場合もあります。やりたい事が見つかるというのは、難しい事ですね。実際は。だから、私はラッキーだったと思います。そのように気づかせてくれた言葉があったから。 こうして会社を辞め、いざ、茨の道へと突き進んでいくのでした。                  

ブランドを始めたきっかけ vol.5 「私、バッグデザイナーになります!」編

vol.4では、初めて出展した合同展示会での散々な結果に打ちのめされたお話でした。 ブランドを始めたきっかけ 「私、バッグデザイナーになります!」編 ご来店されたお客さまに、ブログ見ていますとお声をかけていただくことが増えました。ありがとうございます。バッグデザイナーになる前の話が長過ぎて、まだデザイナーになっていない(笑) 今回は、ようやくバッグデザイナーになると決心したお話です。 深い湧き水を覗き込んだ時、いくつもの色が重なり、奥行きが綺麗に見えることがあると思います。経験や年齢を重ねることは、まさにそのようなことなのだろうと、今になって思います。私にとっては、会社員時代の経験は自分に奥行きという自信を作ってくれた、かけがいのない年月でした。 ちょうど30歳か31歳くらいだったかと。バッグの世界に飛び込んでみたい、という気持ちが日々募っていきます。それは、悔しさからくる気持ちです。展示会で打ちのめされたあの気持ち。いつか本気でチャレンジしてみたい。そう思うようになっていました。 社内では、いくつかのブランドやプロジェクトを経験させてもらっていました。落ちないつかない口紅、という口紅が空前の大ヒットした翌年です。私は会社を辞める決意をしました。関わったブランドや商品がヒットするととても嬉しい。燃え尽きた、というよりももう、いいかな。そう思うようになりました。 ある日、とうとう私は上長に伝えます。 「課長、お話があるんです」「お!きょうこちゃん、私もあるんだよ」(会社ではそう言われていました)ドキドキしながら、別室へ行きまして お先にどうぞ、と言われます。 「私、バッグデザイナーになるので、会社を辞めます」「え・・??? え、そうなの??」 上長、バッグを作っていることは知っていましたが、本業にすることはどういうことなのか、少しバッグについて話をしたと思います。すると上長 「やりたいことが見つかるって、こんなに素晴らしいことはないよ!わかった、僕の話はもういいから、僕もこの後色々調整で動かなくちゃならないから、わかったよ、ひとまずそれじゃ!」と、足早に立ち去っていきました。あれ、こんなにあっさりしているのか?上長からのお話というのは、薄々知っていました。もし、そのお話をこの一年前に聞いていたら、私は会社を辞めていなかったかもしれません。そして、今もまだ会社員だったかも。運命ってわからないものですね。 そして、意外にもあっさりと退社することを承諾してもらい残りの日々を淡々とこなし、この後に待ち受けている楽しいであろう日々を想像しながら過ごします。(この時はまだ、とんでもない世界に飛び込んだことを知る由もない)上長と同じく、印象的だった同僚の言葉は、今でも心に突き刺さっています。「やりたいことが見つかって、良かったね」みんな会社の中で葛藤しながら、それでも仕事をしているのです。やりたいことだらけではない。好きなことだけでもない。そんな中でも、やりがいを見出して日々頑張っている。   自分の手で、本当に作りたいものを作ってみたい。それしか考えていなかったです、その時。組織が大きいとボリュームゾーンを意識しなければなりません。それが自分の意思や嗜好とは違う場合もあります。やりたい事が見つかるというのは、難しい事ですね。実際は。だから、私はラッキーだったと思います。そのように気づかせてくれた言葉があったから。 こうして会社を辞め、いざ、茨の道へと突き進んでいくのでした。                  

ブランドを始めたきっかけ vol.4 「勘違いからのふつふつと湧き上がる感情」編 - Coquette Online Shop

ブランドを始めたきっかけ vol.4 「勘違いからのふつふつと湧き上がる感情」編

vol.3では、出張先のNYで起こった出来事についてのお話でした。 ブランドを始めたきっかけ 「勘違いからのふつふつと湧き上がる感情」編 さて、大きな勘違いだったことに気がついていない私はちょっとしたチャレンジをしてみることにしました。 合同展示会に出展! ファッション系の展示会など行ったことがないので、 バイヤーさんがどのように買い付けを行なっているか全く知らず その場で販売もOK、プロじゃなくても出展可能な展示会に出展することに。 そうは言っても、相当な来場者があるビックサイトでの展示会でしたので 会社仲間に頼んで動画を作って貰ったり、棚を作ったり、、、。 そして、いざ始まりました。想像以上にすごい人。 目の前の帽子作家さんは、途切れることなく試着の接客と販売に大忙し。 私のブースは、、、 ちらっと目は合うものの立ち止まってはくれず、 たまに手に取り値段を確認してくれる人がいても、ささっと立ち去るパターンばかり。 結果、2日間の展示会で何も起きませんでした。 本当に何も起こらないんです。 手に取ってくれるけど、値段を見てすぐに棚に戻されてしまう。 鏡で見てもらうこともない。 代官山のお店でも売れた。 NYでも声をかけてもらった。 でもここでは何も起こらない、なんでだろう。 その日からしばらく自問自答、一人反省会が続きます。通勤の途中、お風呂に入りながら、出展していたバッグを手にしながら。そうして出した答えは、 バッグのクオリティと価格のバランスが合っていない、ということです。 代官山で売れたのは、素敵なお店を目指して行った方が何か買おうと思ってくれただけであってコケットのバッグだから買ったわけではない。むしろ、目指したお店に扱われているという、お店の信頼を借りてバッグがたまたま売れただけ。 NYでも、お金を出すとなったらどうだったかは疑問です。 さて、ここから猛烈に自分が悔しくなります。 浮かれていた自分にも腹が当たってきます。 当時、化粧品会社でブランドのマーケティングに関わることに従事していたのにこの有様。 自分のことなんて何も見えていなかった。私のバッグはまだブランドにすらなっていない状況なんだ。そうだ、私はまだ何者でもないんだ。...

ブランドを始めたきっかけ vol.4 「勘違いからのふつふつと湧き上がる感情」編

vol.3では、出張先のNYで起こった出来事についてのお話でした。 ブランドを始めたきっかけ 「勘違いからのふつふつと湧き上がる感情」編 さて、大きな勘違いだったことに気がついていない私はちょっとしたチャレンジをしてみることにしました。 合同展示会に出展! ファッション系の展示会など行ったことがないので、 バイヤーさんがどのように買い付けを行なっているか全く知らず その場で販売もOK、プロじゃなくても出展可能な展示会に出展することに。 そうは言っても、相当な来場者があるビックサイトでの展示会でしたので 会社仲間に頼んで動画を作って貰ったり、棚を作ったり、、、。 そして、いざ始まりました。想像以上にすごい人。 目の前の帽子作家さんは、途切れることなく試着の接客と販売に大忙し。 私のブースは、、、 ちらっと目は合うものの立ち止まってはくれず、 たまに手に取り値段を確認してくれる人がいても、ささっと立ち去るパターンばかり。 結果、2日間の展示会で何も起きませんでした。 本当に何も起こらないんです。 手に取ってくれるけど、値段を見てすぐに棚に戻されてしまう。 鏡で見てもらうこともない。 代官山のお店でも売れた。 NYでも声をかけてもらった。 でもここでは何も起こらない、なんでだろう。 その日からしばらく自問自答、一人反省会が続きます。通勤の途中、お風呂に入りながら、出展していたバッグを手にしながら。そうして出した答えは、 バッグのクオリティと価格のバランスが合っていない、ということです。 代官山で売れたのは、素敵なお店を目指して行った方が何か買おうと思ってくれただけであってコケットのバッグだから買ったわけではない。むしろ、目指したお店に扱われているという、お店の信頼を借りてバッグがたまたま売れただけ。 NYでも、お金を出すとなったらどうだったかは疑問です。 さて、ここから猛烈に自分が悔しくなります。 浮かれていた自分にも腹が当たってきます。 当時、化粧品会社でブランドのマーケティングに関わることに従事していたのにこの有様。 自分のことなんて何も見えていなかった。私のバッグはまだブランドにすらなっていない状況なんだ。そうだ、私はまだ何者でもないんだ。...